詳細
Bil’in村(2017.3.24. Friday)
2017/05/08(月)
泊まっていたエルサレムのキャピトルホテル近くのバス停からバスに乗り、
ラマラに移動。バスは一時間に2本。料金は7.5シュケル(約¥220)。
ラマラのバスセンターからはタクシーに乗り、ビリンに向かう。
タクシーの料金の相場はは50シュケル(約¥1500)。
*注:乗り合いバスでもっと安く行くことも可能
ビリン村に着いてから、住所知らなかったことに気づいた。(;´・ω・)
でも、「ハイサムの家に行きたい」と聞いたら、なんとその子はハイサムの息子ちゃんだった。
その時は気がつかなかったけど、どこかで見たことあるなと思っていたのだ!
もっとも、ハイサムは村の有名人なので、誰でも家を教えてくれると思う。
ハイサムのお家に到着。
”10時くらいに行くね~”と言っていたのだけど、着いたのは12時だった。
奥さんが出迎えてくれて、「いや~久しぶり。去年会ったわよね!」と言われた。
”・・・・。”(ごめんなさい、奥さん。あなたの顔を覚えていないの)
”うん、久しぶり。元気だった?”と言っている調子のいい私。
シャワーを浴びたハイサムが出てきた。
そして去年の夏以来の再会を喜び合った。
”さっき起きたところなんだ”と言うハイサムにビックリ。(*_*;
(なんでまたそんなにお寝坊さんなんだろ?)
イスラエル兵が子供たちを逮捕という名の誘拐をしにくるから、朝方まで夜回りをしているのだそうだ。
1時からの恒例の金曜デモに参加するまで、いろいろとお話をした。
まず、ハイサムの写真集はどうなったかを聞いた。(ハイサムはイタリアで有名な賞を取るほどの素晴らしい写真家である)
なんと、イギリス在住のインド人に印刷してもらったが、一冊も手元に届かない。その売り上げも、ハイサムの手元に届いていない、そうだ。
彼女のFaceBook のメッセンジャーがオンラインになっているのに、連絡を取っても無視されているそうだ。
他にもオランダ(だったと思う)の知人に出版を持ちかけられ、写真の元データを送っても、出版した連絡もなく、そのまま音信不通。
「ハイサム、パレスチナの権利を守るのも大事だけれど、自分の権利も守ろうよ」と言った。でもハイサムは、「これが俺なんだよ。俺を使ってお金儲けする人はたくさんいるよ。もっとも、俺のところには入ってこないけれどね」
彼の撮る写真や彼自身の人間性に感銘を受け、支援をしている人は世界中にたくさんいる。でも、なんでこの人を利用して、お金を儲けようとするのか。
こら~!!!いい加減にしろ! と、なんか無性に腹が立ってきた。
何度考えてもその理由が分からないから、考えるのを止めた。
「インターネット上で自分の権利を守りながら、写真を売ることが出来るよ」と茂木さんが言ったら、ハイサムは作品の元データを茂木さんのパソコンにどんどん入れていく。
(あの~、ハイサム。そんなに人を簡単に信用して良いのですか?)
そう思いながら、奥さんと色々おしゃべりした。
一般にパレスチナ女性は刺繍がうまいらしい。そして彼女もとても手先の器用で刺繍が大変上手だった。
ある外国人が、売ってあげよう、と言ってくれた。
その人に頼まれてたくさんの品物を作って託した。
しかし、お金は全く支払われなかった、そうだ。
その人は、彼女の友人の友人だった。
”なんでやねん!”と言ったら、”私、バカだから騙されちゃったのよ”、と。
またしても、”もういい加減しろ!”と叫んでしまった。
ここで考えた。
ハイサムの写真集を日本で作れないかな?
奥さんの作品も売れないかな?、と。
奥さんが近所の女性たちに声を掛け、みんなで作品を作ったり、教え合ったりすれば、女性も収入を得られるようになるんじゃないかな?、と。
そんなことを想像したら、なんだかとても楽しくなってきた。
もともと私がここに来た理由は、お水のことで何らかの支援ができるかどうかを見極めることだった。
しかし、問題は水質ではなく、イスラエルによって制限されている水の量であった。いやもっと正確に言えば、占領さえなければ、彼らは水に困ることはないのだ。
1時になって、ハイサムと一緒にデモに参加するために出掛けた。
行く途中、赤いルノーに乗る同じ村の人と会い、デモの集合地まで連れて行ってもらう。彼は、”やはり車はトヨタだよね~”と言っていた。
デモ集合地に到着。
すると、あれ???
去年と全く雰囲気が違うことに気づいた。
場所が違うのか、とすら思った。
みんなで歩いて分離壁のところに行き、鉄扉をドンドン叩くだけだ。
しばらくするとジープが遠くからやって来るのが見えた。
でも鉄扉が開くことはない。ただ不気味にドローンが旋回していた。
デモ参加者は少なく、士気が高いとも感じられなかった。
後ろを振り返ったら、ハイサムがそこから見える景色を説明してくれた。
たった2年で、ビリン村から奪った土地に入植地は出来上がった。
10年も経ったら、さらに強固で要塞のような入植地が出来上がるだろう。
その隣りは、今はまだ草むらになっている。しかし小さな掘立小屋が見えた。
そこを起点として、さらに入植地は拡大していくのであった。
そして、まだ年端の行かない子供たちをそこで働かせるのだ。
子どもたちには大きな石を手で運び込ませる。
しばらくするとブルドーザーに乗った大人たちが重機を使って、ドンドン入植地を作っていく。付け加えるならば、これらは全て国際法違反行為だ。
ただビリン村だけでなく、このような方法でパレスチナ各地に入植地が増殖していくのだ。
ドローンが不気味に旋回する以外何もなかった。これがかえって不気味さを感じさせた。
ハイサムが帰り道教えてくれた。ビリン村に住むパレスチナ人の中にも、デモを利用してお金儲けをする輩がいる、と。
”!!!!”
どこの世界も同じだ。お金に魂を売る輩はどこにでもいるのだ。
途中で、村で農家を営む人の車に乗せてもらった。
車じゅう野菜の端っこやらでゴミだらけ。
でもなんかすごく楽しかった。
楽しさは車の車種でもきれいさでもない。
そこにいる人達による。
ハイサムのお家に着いて、マクルーバ?をごちそうになる。
(この料理、パレスチナのお宅に行けば必ずごちそうになるものらしい)
美味しかった。本当に美味しかった。
レシピを教えてと言ったら、ハイサムは「ひ・み・つ」と言って教えてくれなかった。
奥さんに聞いたら、泊まりに来たら教えてあげると。
絶対行こう!
写真を売る話、写真集の話などをして、帰りの時間になった。
すると、その前に散歩に行こう、となって、お家の周りを見せてもらった。
本当に美しい景色だった。
帰りは、金曜日の夜の街に繰り出す若者たちの車に便乗させてもらった。
彼らを見ながら、ふと数時間前、一緒にデモしていたハイサムたちとの温度差に違和感を覚えた。(どう表現して良いのか分からないけれど)
ラマラに移動。バスは一時間に2本。料金は7.5シュケル(約¥220)。
ラマラのバスセンターからはタクシーに乗り、ビリンに向かう。
タクシーの料金の相場はは50シュケル(約¥1500)。
*注:乗り合いバスでもっと安く行くことも可能
ビリン村に着いてから、住所知らなかったことに気づいた。(;´・ω・)
でも、「ハイサムの家に行きたい」と聞いたら、なんとその子はハイサムの息子ちゃんだった。
その時は気がつかなかったけど、どこかで見たことあるなと思っていたのだ!
もっとも、ハイサムは村の有名人なので、誰でも家を教えてくれると思う。
ハイサムのお家に到着。
”10時くらいに行くね~”と言っていたのだけど、着いたのは12時だった。
奥さんが出迎えてくれて、「いや~久しぶり。去年会ったわよね!」と言われた。
”・・・・。”(ごめんなさい、奥さん。あなたの顔を覚えていないの)
”うん、久しぶり。元気だった?”と言っている調子のいい私。
シャワーを浴びたハイサムが出てきた。
そして去年の夏以来の再会を喜び合った。
”さっき起きたところなんだ”と言うハイサムにビックリ。(*_*;
(なんでまたそんなにお寝坊さんなんだろ?)
イスラエル兵が子供たちを逮捕という名の誘拐をしにくるから、朝方まで夜回りをしているのだそうだ。
1時からの恒例の金曜デモに参加するまで、いろいろとお話をした。
まず、ハイサムの写真集はどうなったかを聞いた。(ハイサムはイタリアで有名な賞を取るほどの素晴らしい写真家である)
なんと、イギリス在住のインド人に印刷してもらったが、一冊も手元に届かない。その売り上げも、ハイサムの手元に届いていない、そうだ。
彼女のFaceBook のメッセンジャーがオンラインになっているのに、連絡を取っても無視されているそうだ。
他にもオランダ(だったと思う)の知人に出版を持ちかけられ、写真の元データを送っても、出版した連絡もなく、そのまま音信不通。
「ハイサム、パレスチナの権利を守るのも大事だけれど、自分の権利も守ろうよ」と言った。でもハイサムは、「これが俺なんだよ。俺を使ってお金儲けする人はたくさんいるよ。もっとも、俺のところには入ってこないけれどね」
彼の撮る写真や彼自身の人間性に感銘を受け、支援をしている人は世界中にたくさんいる。でも、なんでこの人を利用して、お金を儲けようとするのか。
こら~!!!いい加減にしろ! と、なんか無性に腹が立ってきた。
何度考えてもその理由が分からないから、考えるのを止めた。
「インターネット上で自分の権利を守りながら、写真を売ることが出来るよ」と茂木さんが言ったら、ハイサムは作品の元データを茂木さんのパソコンにどんどん入れていく。
(あの~、ハイサム。そんなに人を簡単に信用して良いのですか?)
そう思いながら、奥さんと色々おしゃべりした。
一般にパレスチナ女性は刺繍がうまいらしい。そして彼女もとても手先の器用で刺繍が大変上手だった。
ある外国人が、売ってあげよう、と言ってくれた。
その人に頼まれてたくさんの品物を作って託した。
しかし、お金は全く支払われなかった、そうだ。
その人は、彼女の友人の友人だった。
”なんでやねん!”と言ったら、”私、バカだから騙されちゃったのよ”、と。
またしても、”もういい加減しろ!”と叫んでしまった。
ここで考えた。
ハイサムの写真集を日本で作れないかな?
奥さんの作品も売れないかな?、と。
奥さんが近所の女性たちに声を掛け、みんなで作品を作ったり、教え合ったりすれば、女性も収入を得られるようになるんじゃないかな?、と。
そんなことを想像したら、なんだかとても楽しくなってきた。
もともと私がここに来た理由は、お水のことで何らかの支援ができるかどうかを見極めることだった。
しかし、問題は水質ではなく、イスラエルによって制限されている水の量であった。いやもっと正確に言えば、占領さえなければ、彼らは水に困ることはないのだ。
1時になって、ハイサムと一緒にデモに参加するために出掛けた。
行く途中、赤いルノーに乗る同じ村の人と会い、デモの集合地まで連れて行ってもらう。彼は、”やはり車はトヨタだよね~”と言っていた。
デモ集合地に到着。
すると、あれ???
去年と全く雰囲気が違うことに気づいた。
場所が違うのか、とすら思った。
みんなで歩いて分離壁のところに行き、鉄扉をドンドン叩くだけだ。
しばらくするとジープが遠くからやって来るのが見えた。
でも鉄扉が開くことはない。ただ不気味にドローンが旋回していた。
デモ参加者は少なく、士気が高いとも感じられなかった。
後ろを振り返ったら、ハイサムがそこから見える景色を説明してくれた。
たった2年で、ビリン村から奪った土地に入植地は出来上がった。
10年も経ったら、さらに強固で要塞のような入植地が出来上がるだろう。
その隣りは、今はまだ草むらになっている。しかし小さな掘立小屋が見えた。
そこを起点として、さらに入植地は拡大していくのであった。
そして、まだ年端の行かない子供たちをそこで働かせるのだ。
子どもたちには大きな石を手で運び込ませる。
しばらくするとブルドーザーに乗った大人たちが重機を使って、ドンドン入植地を作っていく。付け加えるならば、これらは全て国際法違反行為だ。
ただビリン村だけでなく、このような方法でパレスチナ各地に入植地が増殖していくのだ。
ドローンが不気味に旋回する以外何もなかった。これがかえって不気味さを感じさせた。
ハイサムが帰り道教えてくれた。ビリン村に住むパレスチナ人の中にも、デモを利用してお金儲けをする輩がいる、と。
”!!!!”
どこの世界も同じだ。お金に魂を売る輩はどこにでもいるのだ。
途中で、村で農家を営む人の車に乗せてもらった。
車じゅう野菜の端っこやらでゴミだらけ。
でもなんかすごく楽しかった。
楽しさは車の車種でもきれいさでもない。
そこにいる人達による。
ハイサムのお家に着いて、マクルーバ?をごちそうになる。
(この料理、パレスチナのお宅に行けば必ずごちそうになるものらしい)
美味しかった。本当に美味しかった。
レシピを教えてと言ったら、ハイサムは「ひ・み・つ」と言って教えてくれなかった。
奥さんに聞いたら、泊まりに来たら教えてあげると。
絶対行こう!
写真を売る話、写真集の話などをして、帰りの時間になった。
すると、その前に散歩に行こう、となって、お家の周りを見せてもらった。
本当に美しい景色だった。
帰りは、金曜日の夜の街に繰り出す若者たちの車に便乗させてもらった。
彼らを見ながら、ふと数時間前、一緒にデモしていたハイサムたちとの温度差に違和感を覚えた。(どう表現して良いのか分からないけれど)