詳細
世界平和なう:サタンが世界を支配する?
2017/11/10(金)
最近、よくキリスト教系新宗教のMの人たちが来る。聖書には興味があるので、家に上がってもらってお話を聞かせてもらううちに、毎週のように訪ねて来るようになった。
確かに向こうの立ち場から考えると、門前払いが当たり前のこの業界で、聖書に興味があり、既存のどの教会にも属さず、世界平和と諸悪の根源について考えつつ積極的に質問してくる人って、これ以上ないぐらいの狙い目だ。もし、ぼくが地区の統括責任者とかだったら信者に、「そういう堅いところを確実に拾っていこう!」ぐらいのことは言う。
こないだはMの人に「菱倉さんは、ちゃんと世の中の本質を見ていてえらい」なんて褒められて「ありがとうございます」と照れ笑い。何してんるだ?ぼくは(笑)。
そもそもMの人たちとの馴れ初めは十年前の夏に遡る。その時もぼくには時間があった。勧誘に来たMの人はドアの外からこんなことを言ったのだった。
「最近、各地で戦争とかテロとかよくありますよね?どうしてだと思われますか?」
開口一番こんなセリフもなかなか聞けない。これ、宗教の勧誘以外にないもんな。それでもヒマだったぼくはドアを開けた。
「…どうしてって? いきなりそんなこと訊かれてもね…」
「特定の宗教の信者でなくても、なんとなく信仰を持っている方のほとんどがこの世は神が支配してると思ってるんですよね。」
「…はい。それはそうでしょうね。」
なんか嫌な予感がするな…
「その大前提が実は間違ってるんです。」
「…え?!」
「世界はね、サタンが支配してるんです。」
近所の家で風鈴が鳴った。
何も言えなかった。
時間が止まったような気がした。
「聖書にもちゃんと書いてあります。」
ものすごく怖かった。すぐ目の前に自分と全く異なる世界を観ている人がいるということが怖かった。
「…でも昨日はこのあたり、毎年恒例の阿波踊りがあって、全国から見物客が何万人も集まってものすごく盛り上がったんですよ。ぼくがサタンだったら『ああ楽しいな』とか『人間まだまだ捨てたもんじゃないな』なんて思わせるような体験は絶対させないですけどね」
「…まあ、場所によってはそういうこともありますけど、平和な日本だって毎日80人ぐらい自殺しますし、紛争や戦争がある地域に目を向ければひどいものです…」
「それはそうだけど…」
というわけで、彼らの考えは少し知っているけど、それ以上突っ込んで話を聞く機会がなかった。ぼくはもしかしたらその時に「この人たちとはわかりあえない」と決めたのかもしれない。そして10年後にまた改めて話を聞く事になったのだった。
確かに向こうの立ち場から考えると、門前払いが当たり前のこの業界で、聖書に興味があり、既存のどの教会にも属さず、世界平和と諸悪の根源について考えつつ積極的に質問してくる人って、これ以上ないぐらいの狙い目だ。もし、ぼくが地区の統括責任者とかだったら信者に、「そういう堅いところを確実に拾っていこう!」ぐらいのことは言う。
こないだはMの人に「菱倉さんは、ちゃんと世の中の本質を見ていてえらい」なんて褒められて「ありがとうございます」と照れ笑い。何してんるだ?ぼくは(笑)。
そもそもMの人たちとの馴れ初めは十年前の夏に遡る。その時もぼくには時間があった。勧誘に来たMの人はドアの外からこんなことを言ったのだった。
「最近、各地で戦争とかテロとかよくありますよね?どうしてだと思われますか?」
開口一番こんなセリフもなかなか聞けない。これ、宗教の勧誘以外にないもんな。それでもヒマだったぼくはドアを開けた。
「…どうしてって? いきなりそんなこと訊かれてもね…」
「特定の宗教の信者でなくても、なんとなく信仰を持っている方のほとんどがこの世は神が支配してると思ってるんですよね。」
「…はい。それはそうでしょうね。」
なんか嫌な予感がするな…
「その大前提が実は間違ってるんです。」
「…え?!」
「世界はね、サタンが支配してるんです。」
近所の家で風鈴が鳴った。
何も言えなかった。
時間が止まったような気がした。
「聖書にもちゃんと書いてあります。」
ものすごく怖かった。すぐ目の前に自分と全く異なる世界を観ている人がいるということが怖かった。
「…でも昨日はこのあたり、毎年恒例の阿波踊りがあって、全国から見物客が何万人も集まってものすごく盛り上がったんですよ。ぼくがサタンだったら『ああ楽しいな』とか『人間まだまだ捨てたもんじゃないな』なんて思わせるような体験は絶対させないですけどね」
「…まあ、場所によってはそういうこともありますけど、平和な日本だって毎日80人ぐらい自殺しますし、紛争や戦争がある地域に目を向ければひどいものです…」
「それはそうだけど…」
というわけで、彼らの考えは少し知っているけど、それ以上突っ込んで話を聞く機会がなかった。ぼくはもしかしたらその時に「この人たちとはわかりあえない」と決めたのかもしれない。そして10年後にまた改めて話を聞く事になったのだった。
前回も「サタンにしては現状の支配はぬるい」と指摘すると、「サタンにはサタンの思惑があり、菱倉さんの言うように最初の七日間で世界を滅ぼしてしまったらそれは実現できないんです」と言われた。
「魔が差す」なんて言葉もあるし、悪魔的な働きかけが自分の外からあっても不思議はない。あってもというか、「サタンが世界を支配している」というからいかにもカルトという感じがするけど、そもそも常に悪魔的な保身への誘惑と神へと近づこうとする気高さの狭間を生きているのが人間なんじゃないのだろうか。その証拠に今の人間世界で何が起こっているかを眺めてみれば、そこに一人一人の内にある利己的な心が大写しになっている。
飢餓に苦しむ人、きれいな水を飲めない人、その日の寝食にも不自由する難民が大勢いる一方で食糧や物資が特定地域に偏ってあること。まだ食べられる食糧が大量に廃棄される現実。
体に害を及ぼす食品や製品が溢れていてそれらが経済合理性優先の価値観によって人の健康、幸福より優先的に扱われる。
既得権益層の金儲けのために戦争が起こされ、罪のない子どもが殺される。
例を挙げればきりがない。あらゆるところで不公正、不正義がはびこっている。ごく一部の人間が快適に安穏と暮らしている一方で、その割を食って飢えたり、犠牲を強いられたり、傷ついたり、殺されたりしている多くの人がいるという現実がある。
これだけ不条理な苦しみと不幸にあふれた現実世界に向き合う時、こうした世の中を「悪魔が支配する世界なんだ、だからこうなんだ」と信じる感性はそんなに突飛なものでもない気がしてくる。
もし、悪魔を持ち出さなければどうなるだろうか。「悪人が世界を支配している」とか「悪人が世界に悪い影響を及ぼし続けている」と言い換えたなら、同意する人はけっこういるんじゃないだろうか。
この場合の悪人とは、たとえば業績を上げるためにはクラスター爆弾の製造企業に投資することも厭わないメガバンクであったり、保身優先で弱者を食い物にする政治家であったり、本来誰のものでもない農産物の種を支配する多国籍企業だったりする。
「サタンが支配している」ことを信じている人たちというと、本当の狂信者のようだけれど、「悪人という人たちが普通の人とは別にいてその人たちが悪を働いている」という発想はつながっていないだろうか。どちらも自分の外部に悪を据えることで自分が責任を放棄できる点が共通している。
「魔が差す」なんて言葉もあるし、悪魔的な働きかけが自分の外からあっても不思議はない。あってもというか、「サタンが世界を支配している」というからいかにもカルトという感じがするけど、そもそも常に悪魔的な保身への誘惑と神へと近づこうとする気高さの狭間を生きているのが人間なんじゃないのだろうか。その証拠に今の人間世界で何が起こっているかを眺めてみれば、そこに一人一人の内にある利己的な心が大写しになっている。
飢餓に苦しむ人、きれいな水を飲めない人、その日の寝食にも不自由する難民が大勢いる一方で食糧や物資が特定地域に偏ってあること。まだ食べられる食糧が大量に廃棄される現実。
体に害を及ぼす食品や製品が溢れていてそれらが経済合理性優先の価値観によって人の健康、幸福より優先的に扱われる。
既得権益層の金儲けのために戦争が起こされ、罪のない子どもが殺される。
例を挙げればきりがない。あらゆるところで不公正、不正義がはびこっている。ごく一部の人間が快適に安穏と暮らしている一方で、その割を食って飢えたり、犠牲を強いられたり、傷ついたり、殺されたりしている多くの人がいるという現実がある。
これだけ不条理な苦しみと不幸にあふれた現実世界に向き合う時、こうした世の中を「悪魔が支配する世界なんだ、だからこうなんだ」と信じる感性はそんなに突飛なものでもない気がしてくる。
もし、悪魔を持ち出さなければどうなるだろうか。「悪人が世界を支配している」とか「悪人が世界に悪い影響を及ぼし続けている」と言い換えたなら、同意する人はけっこういるんじゃないだろうか。
この場合の悪人とは、たとえば業績を上げるためにはクラスター爆弾の製造企業に投資することも厭わないメガバンクであったり、保身優先で弱者を食い物にする政治家であったり、本来誰のものでもない農産物の種を支配する多国籍企業だったりする。
「サタンが支配している」ことを信じている人たちというと、本当の狂信者のようだけれど、「悪人という人たちが普通の人とは別にいてその人たちが悪を働いている」という発想はつながっていないだろうか。どちらも自分の外部に悪を据えることで自分が責任を放棄できる点が共通している。
実際、今ほど人が自分以外の他者に対して無責任であるという現実を突きつけられている時代はないような気がする。3.11以来の原発危機で放射性物質の種類によっては自然に無害化するまでに数万年単位を要するとわかり、あれだけの過酷事故が起きたばかりにも関わらず、まだ再稼働などと言っているこの国ではとりわけ切実な問題じゃないだろうか。
Mの人たちが世間の常識に照らして突拍子もないことを信じ込んでいるからといって驚く事はない。一見まともに見える世間も十分に狂っているのだ。ただみんなが同じ方向を向いているからまともなように感じるというだけの話で。
「外から人間に対して悪魔的な働きかけがあっても不思議はないと思うんですけど、それが絶対的な影響力を持っているわけじゃないでしょう? 実際、立派に良い生き方をして人生を全うした人もいるじゃないですか?」
とMの人に聞いてみた。
ぼくの担当になっているOさんのお母様がうんうんと頷きながら、「そうよね、最初はそう思うのよね」みたいな共感を示しながら、「そういう人たちだって、いろんな妨害に遭いながら生きたんです。」と言う。
「ぼくこういうこと考えるの、すごく好きなんです。」
「本来、一番大事なことですからね」
「そうですよね。だから宗教の勧誘に来る人とは必ず話すことにしてるんです。」
実際、宗教の勧誘話を聞くのは馬鹿にしてるわけでもなくて、信者の人たちに共感するからでもある。その教義や活動内容は別として。彼らは世の中に問題意識を持ち、その答えと人としてのあるべき生き方を求めた人たちであることは確かなのだ。
「住宅地をまわって世界の不公正について話をすると、『生活が忙しくてそれどころじゃないの!』とよく言われます」とMの人も苦笑していた。
Mの人たちが世間の常識に照らして突拍子もないことを信じ込んでいるからといって驚く事はない。一見まともに見える世間も十分に狂っているのだ。ただみんなが同じ方向を向いているからまともなように感じるというだけの話で。
「外から人間に対して悪魔的な働きかけがあっても不思議はないと思うんですけど、それが絶対的な影響力を持っているわけじゃないでしょう? 実際、立派に良い生き方をして人生を全うした人もいるじゃないですか?」
とMの人に聞いてみた。
ぼくの担当になっているOさんのお母様がうんうんと頷きながら、「そうよね、最初はそう思うのよね」みたいな共感を示しながら、「そういう人たちだって、いろんな妨害に遭いながら生きたんです。」と言う。
「ぼくこういうこと考えるの、すごく好きなんです。」
「本来、一番大事なことですからね」
「そうですよね。だから宗教の勧誘に来る人とは必ず話すことにしてるんです。」
実際、宗教の勧誘話を聞くのは馬鹿にしてるわけでもなくて、信者の人たちに共感するからでもある。その教義や活動内容は別として。彼らは世の中に問題意識を持ち、その答えと人としてのあるべき生き方を求めた人たちであることは確かなのだ。
「住宅地をまわって世界の不公正について話をすると、『生活が忙しくてそれどころじゃないの!』とよく言われます」とMの人も苦笑していた。
ぼくも正直に打ち明ける事にした。
「ぼくね、前回自分で仏教の話とかしたじゃないですか?あの後、気づいたんです。ぼくはあなたたちのことを『この人たちに早く間違いに気づいてほしいな』って思ってることに気づいたんです。」
Mの人たちは、苦笑いしていた。言ってしまってから、随分失礼なことを言ってるなと思った。
「あなたたちは、他の信仰を持っている人たちのことをどう思ってるんですか? たとえば、イスラム教とか仏教とか他のキリスト教徒たちのことを。『あんなの信じちゃってもったいない』とか思いませんか?『こっちに来てくれればいいな』って思いませんか?」
彼らは曖昧に笑った。多分、彼らだって「目覚めよ!」って思ってるんじゃないだろうか。冊子にずばり書いてあるし。
だから互いに自分の信じている世界観を相手に吹き込む感じになって話は平行線のまま交わることがない。これまで宗教の勧誘の人と話をした時にいつも感じた徒労感はお互いが相手のことを理解しようという気持ちを持たないまま、自分の考えを相手にごり押しするスタイルだったから感じたものだったようにも思える。
これはいけない。「自分の信じていることが真実で相手のそれは間違っている」というマインドで関わってる点でお互い似たもの同士じゃないか。違う思想信条、価値観の人とどうコミュニケーションをとるのか、これは非常に今日的な課題だ。
先日イギリス人から聞いた話では、彼らの息子の公立小学校では英移民が増え英語を話せない生徒が多過ぎて大変なのだという。教師は一番授業についてこれない子のケアを優先的にするので、当たり前の授業が全くできなくて学級崩壊どころか学校全体が機能不全に陥っているという。
さらにムスリムが急増していてモスクの建設ラッシュ、ムスリムの権利を擁護する政治家が勢力を伸ばし、社会全体がイスラム化しているとか。プロサッカー選手の中にムスリムの選手がいて試合中でもグラウンドでメッカに向かって礼拝を始めるのだという。監督はそのたびに怒る(笑)。
「このイスラム化の流れはそのうち日本にも来るぞ。女性はみんなブルカ着用だぞ」と脅かされた。
右傾化する政治、難民の問題、宗教と民族の問題、格差の問題といった現代の問題を乗り越えて全体であらゆることをシェアしていこうとする時に鍵になるのは「自分にとって異質なもの」=「他人」に対する態度じゃないだろうか。それはまた、他人に対する責任感と言い換えてもいいかもしれない。
ぼくがMの人たちのサタンの話に反発したのは、サタンの支配を諸悪の根源として据えることの無責任さについてなのかもしれない。
そういう意味では世界の現状を「悪い人たち」のせいにするのも嫌なのだ。
人はサタンの影響があろうが、悪人がたくさんいようが、何だろうが自由も持っている。それを簡単に放り投げて最後の審判を待つなんて嫌だ。サタンや悪人が主原因で世の中が悪くなってるなんて認めれば、人間はただの被害者で口を開けて天から平和が降って来るのを待つだけのどうしようもない存在になってしまう。
人は荒んだ世の中の被害者でしかないのか。観客席で「この試合はどんな結末になるのか」と展開を見守るだけの存在でいいのか。もっともっと影響力を発揮できないだろうか。そんな風に生きた人がこれまでにもたくさんいるのだから。