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Viva!ボランティア:しま平物語(下)「お兄ちゃん、頑張ってね」の魔法
2018/02/21(水)
チーム「宇宙(そら)の約束」代表:大島秀夫さん
ニックネーム:しま平
しまへい物語(下)「お兄ちゃん、頑張ってね」の魔法
ニックネーム:しま平
しまへい物語(下)「お兄ちゃん、頑張ってね」の魔法
◎「おれ、情けねぇー」
そんなしまへいさんに決定的な転機が訪れる。彼は小、中、高と養護学校で職業訓練校も障がい者専用の学校に通った。それが19歳でシステムエンジニアとして就職したのを機にいきなり健常者の世界に飛び込むことになった。差別もあったし、「どうせすぐやめるだろう」と思われていた。話しかけるのが怖くて内にこもり、人と話さずに黙々と働いた。仕事は電話応対以外、健常者と分け隔てなくやらされたが給料は半人前だった。難しいプロジェクトを一人で任されたり、毎晩夜遅くまで働いて体はボロボロだった。全身に重い鎖が巻き付いているような感じで体の自由が効かない。今から振り返って考えると、立派な鬱だった。
その日、休日出勤途中の公園で子どもたちが遊んでいるのを見た。子どもの一人は補聴器をつけた障がい者だった。
「よかったー」
と自分のことのように嬉しく感じた。その後でしま平さんがエレベーターに乗ると、偶然その補聴器の子も後から乗り込んで来て一緒になった。この子もまた自分と同じような痛みを経験しながら育っていくのだろうかと思った。エレベーターのドアが開いた時、その子がしま平さんをじっと見つめてから言った。
「お兄ちゃん、頑張ってね」
そう言われて、自分は何をしているのだろうと情けなくなったという。なんでこんな小さな子に励まされてるのか、と。その一言があってからなんとかあの子のような、自分と同じように障がいを抱えた子が生きやすい世の中にしたいと願うようになった。
それから不思議なことが起きた。それまでずっと溜め込んで来た被差別体験による恨み、つらみが一気に弾けたような感じでヘソの下から炎が出るような感覚があった。自分の心の奥からことあるごとに「世界を変えたい」というような言葉が出てくるのだが、それを「そんなことが自分にできるわけがない」と抑え込もうとするもう一人の自分がいて、2〜3年の間はなかなか行動に移せなかった。
◎給料は倍、ボーナスは3倍に
その後、思い立って給与明細片手に待遇改善を訴えた。
「この給料だと結婚できないんです」
上司は「それしかもらってなかったのか!」と驚き、人事部にかけあってくれた。人事部はそれを却下した。言い分は「彼には聴覚の障がいがあるから電話応対ができない。『業務に著しく支障を来す場合は給料を減額できる』と労基法に明記されている。」というものだった。上司は他の社員に社長宛の上申書を書かせたり、他の部署の人も巻き込んでさらに動いてくれた。結果として給料は倍になった。ある部長からも「きみの作ったシステムは1000万以上で買ったシステムよりもよほど使えるシステムだったよ。ボーナスの査定あげておいたから。」と言われ、ボーナスが三倍になった。「給料はその後大して上がらないし、ボーナスがそんなに上がったのはその時だけだった」と言うけれどこれは画期的な出来事だったはずだ。
◎自分で自分を縛っていた
何か自分にできることとしてボランティア活動でもしたいと思っていた矢先、あるイベント会場で片足のないおじいちゃんに会った。片足ながら子どもたちとヒモを引っ張り合って遊んでいた。「障がい者が生きやすい世の中にしたいんです」と言ったら、こんなことを言われた。
「できない障害者とできる健常者、どっちがいい?」
「できる健常者です。」
「なら、できる障害者とできない健常者、どっちがいい?」
「…」
その言葉によって他ならぬ自分自身が「障がい者」とか「健常者」というレッテルを貼って人を見ていたことに気づかされた。障がい者も健常者も同じ人間なのだ。
◎障がいの意味を探して
それから始めたボランティア活動や自分の仲間たちで立ち上げたチーム「宇宙(そら)の約束」の活動をしていくうちに「誰もが認め合える世の中へ」というヘソの奥からの声を抑えるもう一人の自分が薄まっていき、やがて消えてしまった。今ではその活動を通じていろんな人とつきあったおかげで健常者とつき合う事にも慣れて来たという。ずっと「自分が障がいを持って生まれたのには何か意味があるはずだ」と思っていた。その意味をわかりやすく多くの人に伝える仕事として「1/4の奇跡」の上映会をやるのがいいと思った。「やっと見つけた!」と思った。
上映会に来た女性がこんなことを言ってくれた。
「実は今日、自殺したくて死に場所を探していた。でも私も生きていこうと思います。」
障がいのある子が泣きわめくのに狼狽していた母親が映画を観終わったあとで、
「大丈夫だよ。あなたがどんな体でもずっと見守っていくからね」
と言った。それで子どもが泣き止んだ。
そんなことがあると、本当にやっていてよかったと思う。他にもいろんな反響がある。映画を観た人が障がい者のための活動を始めたり、特別支援学校の教師になった人もいる。
5年前に同じく重い障害をもっていたチームの副代表が亡くなった。それから意気消沈して活動を休止していたところに相模原の事件が起きた。その直後は落ち込んだ。「自分がやってきたことは何だったのか」と思った。それまでは名ばかりのリーダーで運営はスタッフに任せっきりだった。事件を機に自分ひとりでも出来るように小規模なイベントをやるようになった。アースキャラバン呼びかけ人の遠藤喨及さんから「映画『BE FREE!』の上映会をやりませんか?」と誘われたのはそんなタイミングだった。
「世界を見てもチベットやパレスチナの人々など虐げられている人はたくさんいる。映画の上映会などで実情が多くの人に知られれば自浄作用が働くのではないかと思っている。今の世の中がこんな意識のレベルなのは、きっとみんなが『これが今のレベルだ』と自分たちで思い込んでいるからじゃないかな」と言う。
終わり