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Viva!ボランティア:しま平物語(上)復讐は鉄拳制裁で

2018/02/21(水)
チーム「宇宙(そら)の約束」代表:大島秀夫さん
ニックネーム:しま平
 
しま平物語(上)
復讐は鉄拳制裁で
◎しま平さんについて
しま平さんとは映画「BE FREE!」の上映会を主催して頂いた席で初めて会った。もともと彼自身で、チーム「宇宙(そら)の約束」というボランティア団体の活動がある。そこでは「すべての人が認めあえる世の中へ」というコンセプトでお話し会、上映会、ライブなどを主催している。特に力を入れてきたのは、特別支援学校の養護教諭・山元加津子さんが出演する自主制作ドキュメンタリー「1/4の奇跡」の上映会で、これまで100回以上、のべ3000人を越える人に観てもらったという。
 
しま平さんは、早産で全身が真っ黒だったという。その脳性麻痺の後遺症としていくつか障がいがある。補聴器をつけていても音を聞き取るのが難しい。映画やテレビの音声は部分的にしか聞き取れない。目の前で話をされても相手の声が小さいと聞き取れない。話せるが聞き取る側に少し慣れがいる。手足の動きにぎこちなさがある。
 
しま平さんはタバコも酒も飲むし冗談もポンポン出てきて明るい。てっきりオープンな人なのかと思い、気安く話しかけることができたが、本人に訊いてみると、自分からはなかなか人に話しかけられないという。耳が悪いので声をかける勇気がでない。声が小さい人もいるから自分から話しかけておいて聞き取れずに何度も聞き返すようなことになると気まずい。それでもかわいい女の子だったらすぐ声をかけるという(笑)。だから人と知り合うのは相手から話しかけて来てくれた場合が多いそうだ。
◎傷ついたこと
まだ幼い頃、健常者の子と二人で遊んでいるとその子の母親が寄って来て、
「この子と遊んじゃだめよ」
と言って自分の子を連れて行った。以来、相手に気を使うようになって一人でずっとサッカーボールを蹴っていた。そうしたつらい経験の数々も「もう全部忘れちゃったよ」と笑い飛ばした。といっても最初からそんなにサバサバしていたわけではないという。
 
◎復讐は“鉄拳”制裁で 
ずっと健常者に対して恨み、憎しみのような感情を持っていたという。その鬱屈した感情を晴らす場として彼はゲームセンターの対戦格闘ゲームを選んだ。ゲーム機を挟んで向き合って座り、すぐ目の前の相手とゲームの中で戦う。当時流行っていた「鉄拳」というゲームの中で使い込んだキャラが「三島平八」という空手家だったので、そこから「しま平」というニックネームになった。
 
ゲームの中で健常者を倒すのが快感だった。確かにゲームの世界ではプレイヤーが健常者だろうが、障がい者だろうが関係がない。勝敗を握るのは動体視力、反射神経、格闘センスだ。リアルに喧嘩したら勝てない相手にも勝つことができる。最初は手を思うように使えず、ものを持つのも難しかったが、健常者に何か一つでも勝てるものを、との一念でゲームにのめり込むうちに手の自由度が増して来たという。図らずもゲームが機能訓練になったのだ。
そして、それは同時に彼の中に溜め込まれて来たネガティブな感情を転換し、生き方を変えるきっかけにもなっていくのだった。朝から晩までゲームセンターに入り浸り、最寄りの店で敵なしになった彼は、格闘家が腕試しに道場破りをするが如く近隣の店を周り、強豪たちを次々に倒していく。そのうち「“しま平”が来たぞ」と恐れられるほどに腕を上げた彼は、とある有名な店に乗り込んだ。そこは百円で三回プレーすることができ、鉄拳五人衆という猛者がいるので有名な店だった。遠方からも全国大会にでるようなトッププレイヤーが腕試しにくる登竜門的な店だった。
 
ところで、こうした対戦格闘ゲームには“ハメ技”というのがある。たとえば相手が倒れているところに足払いを繰り出して起き上がるなり相手がダメージを受けるハメ殺し状態に持っていくとか。一度決まると脱け出しにくいので友達同士でプレイする時にこれをやると嫌われる。見ている方も全く面白くなく場が白ける。つまりは「自分が勝ちさえすればいい」というファイトスタイルだ。
 
ハメ技も駆使して健常者をゲーム内でいたぶることに快感を見い出していたしま平さんは、その五人衆のように本当に強い人たちと交流するようになって心が変わって来たという。彼らは見ている人が喜ぶような、魅せる戦いを意識してプレイした。一方的に勝っている時はわざと少し手加減したり、ハメ技を禁じ手にしたり、派手な技でギャラリーを湧かしたりという具合に。それにトッププレイヤーにはいい人が多かったという。
好きが高じて五人衆の一人に成り代わり、東京の大会で優勝するまでになったのだが、そうした体験を通じて少しずつ健常者に対する恨みつらみが薄れていった。

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