HOME週刊EC 一覧 > 世界平和なう:モンキーマジック

週刊EC 詳細

世界平和なう:モンキーマジック

2018/05/10(木)
ブラック系運送会社に勤めるMから聞いた話。仕事のキツさと長時間労働では定評のあるその会社のこと、慢性的な人手不足で忙しい。そのため、かなり問題のある人でもけっこうクビにならずに働けるとのこと。
「今度おれの部署に来た人はさ、忙しくなってテンパるとまともに喋れないし、ブツブツ独り言言いながら自分の世界に入っちゃったりして、もうほとんど“猿”になるんだ。」
「“猿”?」
「『◎◎さん、さっき渡した伝票はどこ?』って訊いても、『オッ』だけ。『◎◎の書類どうなってるの?』に対しても『オッ』。全部こんな感じ。会話にならないんだよ。」
「…それじゃ仕事にならないよね(笑)」
「ああ。普通はクビだよね。だからさすがにウチでも社内をあちこちたらい回しにされて来たみたい。」
まともにコミュニケーションがとれない上にケアレスミスも多い。間違いが多いだけならまだしも、けっこう神経が図太くて、忙しい最中にしばしば姿を消す。「あいつどこいった?」と見回せば一人物陰でタバコを吸っていたりする。本人は隠れているつもりのようだけど、柱の影からこちらの様子を伺っているのがバレバレ。
「きっとこれまで殴られたりしてるはずだよ。ウチは喧嘩っ早い奴多いから。それでも辞めないで続けて来たんだなって感心する。」
 
配送や集荷に連れて行けば、「あの人をもうよこさないでくれ」とクレームをもらうのもしょっちゅう。どうしてかというと、客先のかわいい子に付きまとってしまったり、女性だけの職場のトイレを勝手に使い、中でずっと独り言を言っていたとか。そんなことが多く、とにかく挙動不審なのを気味悪がられて方々から出入り禁止を言い渡されるのだと。
そんな彼がある日の帰り際、Mに言った。
「M、今日送っていこうか?」
「え!?…◎◎さん、免許もってんの?」
「持ってるよ。会社が運転させてくれないだけ」
一応面接などして採用されているだけあって、いつも喋れない訳じゃない。だけど、ふだんの姿を知っているだけに彼の運転に身を任せるのは怖かった。が、話のネタにはなると思い、送ってもらう事にしたそうな。
 
車に乗ると、さらなる驚きが待っていた。いざ乗ってみれば車線変更はもちろん、抜け道もよく知っているし、ちゃんと人並みの集中力と注意力を発揮して運転ができているではないか。Mはふだんの仕事ぶりとのギャップに唖然としつつ、隣でハンドルを握っているのが“猿”であることを確かめるように何度も見直した。
彼はいつになく饒舌に話した。生い立ち、これまでの仕事遍歴、世田谷に自分のマンションを持っていて結婚もしていること、その奥さんとは友達と旅行した時のナンパをきっかけにしてつき合い始めたこと、などなど。Mは話を聞くうちにだんだん頭が痛くなって来た。どうしても自分の知っている“猿”と同一人物とは思えないのだ。そうこうしているうちに何事もなく家に送り届けてくれて、その日はそれで別れた。
翌朝、職場で彼を見つけたMは駆け寄っていった。
「◎◎、おはよう。昨日はありがとう。」
でもやっぱり帰ってきたのは、
「オッ」
という返事。完全にいつもの“猿”に戻っていた。ただ、ほんの一瞬、目と目が合った時、
「おれたち、昨日はちゃんと通じ合ってたよな?」
という目をしたのだという。
Mは同僚たちに昨晩の“猿”の様子を話したが、誰一人としてまともに取り合ってくれなかったという。
 
ぼくはその話を聞いて笑った。Mが“そういう人”だと思い込んでいたのが一瞬でひっくり返るのが痛快だったから。笑ったあとで、少し切なくなった。彼は基本的に職場では“猿”だと思われているし、一段下等な生きもののように扱われている。「あいつはああいう奴だから」と決めつけられて味噌っ滓として扱われることが、ある意味では彼を救っていることだろう。でもそれが彼の全てではなかった。無意識にでも仮面をつけて人と関わらなければならないことの孤独、四六時中蔑視され続けていることの屈辱はいかばかりか。
 
Mは“猿”なんて言い方をしたけれど、実はとても優しい男だ。だから怒ることはあっても、他の同僚たちとは違って彼が「車で送ろうか」と声をかけるだけの下地ができていたのだと思う。Mは「彼はけっこうやさしいんだ。おれに怒られたあとで『M、さっきはごめんな。』なんてしおらしく謝ってくるし。」彼は自分は猿ではないことを知ってほしかったんじゃないだろうか。たまには怒りや焦りや屈辱といったネガティブな感情の伴わない心の交流がしたかったのかもしれない。
彼はどうして猿と見なされたのか。職場や社会の基本的なルールが守れず、衝動的に行動し、人とまともなコミュニケーションがとれないところが原始的な人間として映ったからだろう。だけど、猿だってアメとムチをもってすれば簡単なルールやコミュニケーションぐらい覚えられるし、弱い者いじめも、強いボス猿の前でおとなしくするぐらいの知恵もあるだろう。すると、彼を猿と見なした人たちが「世間や職場のルールは守れる」と胸を張ったところで猿とそんなに違うとも思えない。
 
いったい何をもって人間と呼ぶのだろう。人が動物としてのルーツを持ち、そのために自己中心的な心を残しつつも、個としての欲求や衝動を超える理性を発達させてきたことと関係があるのではないだろうか。
 
人は「あなたは猿ですか?それとも人間ですか?」という問いをずっと突きつけられているように感じる。自分や家族の生存と繁栄のみを追求して生きるなら、脱毛しただけの猿のようなものだ。一方でそうした動物的な暮らしの枠外に生きる価値を求めていくなら、人間だということになるのではないだろうか。そしてこの猿の惑星ではみんなが猿のままでは滅びるという警告がしきりに発せられているように感じる。

ページ
TOP