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世界平和なう:No!と言った日本人1(連載)

2018/09/05(水)

去年、出版された本で戦争を扱った本としては珍しくベストセラーになっている本がある。
鴻上尚史さんの「不死身の特攻兵〜軍神はなぜ上官に反抗したか〜」がそれだ。この本は爆弾を搭載したまま敵戦艦に自機もろとも突っ込む決死の特攻隊員でありながら、上官の「次こそは必ず死んでこい」という命令に抗い続け、9回出撃し、9回とも生還を果たした佐々木友次さんに取材して書き上げられたノンフィクションだ。
 
日本の戦争に関わるドキュメンタリーや本を読んでいると、元兵士から必ずといっていいほど出て来るセリフにこういうものがある。
「命令に抗える雰囲気ではなかった。仕方がなかった。」
ぼくもずっとそう思っていた。徹底した愛国主義教育、マスコミのプロバガンダ、当時の風潮と同調圧力、日本という巨大な村社会でそのような流れに抗して意志を通すことは簡単なことではなかったはずだ。
しかも命令が絶対の軍隊の中では死罪に値する重罪。どうして当時21歳の若者だった佐々木さんにそのようなことができたのか、それを知る事は、今なお権威に忖度し、粛々と長いものに巻かれていく風潮の濃い日本人にとってとても重要なことだと思う。
 
実際、佐々木さんのように理不尽極まりない命令に異を唱えた人が他にもいたという事実に触れることが最近多かった。特攻隊がらみではただの一人も特攻に兵を出さなかった芙蓉部隊の長の美濃部少佐、「何と言おうが戦争は人殺し、殺すよりは殺される方を選ぶ」と“絶対的非暴力主義”で徴兵拒否したトルストイ翻訳家の北御門二郎さん、また、「捕虜になるよりは死を選べ」という命令により多くの民間人にまで死者を出した沖縄戦において、「死んではいけない。必ず生きて親許へ帰れ」と訓示したふじ学徒隊の小池隊長。
 
確かにこうした例は全体の中ではごく一部だっただろう。それでも不服従は不可能ではなかった。服従と抵抗を分けたのは一体なんだったのか、考えてみたい。
…アースキャラバンの東京イベントが終わってから。
 
〈関連情報〉
・鴻上尚史が受けた衝撃… 特攻帰還者を幽閉した「振武寮」の驚愕の内幕とは?
https://dot.asahi.com/dot/2018081300085.html
・「絶対的非暴力を貫いて」北御門二郎さんの動画書き起こし
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-292.htm
・ふじ学徒隊について
http://fujigakutotai.com/about/
◎特攻に異議を唱えたのは「不死身の特攻兵」だけではなかった! もう一人の物語

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