週刊EC 詳細
世界平和なう:モンスターの告白(連載3)
2019/01/21(月)
〈前回までのおさらい〉
なぜ戦場では普通の人がモンスターになれるのか、というテーマでスタートした連載。暴力や人権侵害がつきものの軍事占領の実態を告白したイスラエル兵によれば、パレスチナだけでなく、世界中の戦場で普通の人が“モンスター”になっているという。それは命令ゆえか、意思なのか。前回は命令がうまく機能するための仕掛けの一例をホロコーストとイスラエルをモデルにして紹介した。
では果たして、被害者としての体験や計画的な洗脳がない場合、人の行動と命令、意思の関係はどうなるのだろうか?
〈ざっくり言うと…〉
普通、人は権威による命令に従いやすい→抵抗できるのにしないで服従することもよくある→人はむしろ服従したがっているのではないか?→それは日常生活全般において従うことに慣れているからなのでは?→服従と意思のどちらを尊重するかは日頃の生き方による→一人の人生も世界の命運も一人一人の心の自由さによって決まる。
◉悲しいほどに従いやすい人間
権威からの命令によって大半の人が他者の生死を分けるような命令にすら従ってしまうことを示した例としては有名なミルグラム実験(通称アイヒマンテスト)がある。これは、服従をテーマとして考える時に必ずと言って良いほど引用されるのでもういいや。詳細は各自でチェケラ!
◉別な事例
実験ではなく実際にあった事件としては、アメリカであった「ストリップサーチいたずら電話事件※2」を取り上げたい。
「ストリップサーチ…事件」は、1992年から2004年までに渡って30の州にまたがって行われた同一犯による70件の詐欺事件。ディテールは場所により違っているが、内容はおおよそ以下のようなもの。
ファーストフード店などに警官を自称する男から電話がかかってくる。店長や責任者に対して「店員に窃盗容疑がかけられているが、刑事を派遣することができないので捜査に協力してほしい」というのだ。指名された店長ら現場の責任者は、電話で逐一指示される形で“容疑者”を調べていくのだが、どう考えても明らかな人権侵害、性犯罪にあたるような強引な捜査に多くの人が盲目的に従ってしまった。特にこの一連の事件が知れ渡るきっかけになった最後のケースでは、裁判の結果、被害者が6億円の損害賠償を勝ち取ったことで全米の注目を集めた。これ映画化されてます。「コンプライアンス〜服従の心理〜」※3を参照。
◉なぜ抵抗しないで服従を選ぶのか?
面白いと思ったのは、被害者となった店員がいつでも逃げ出せて、抵抗もできる状態なのにほとんど激しい抵抗はしないまま従っていくところ。ファーストフードのバイトだからクビになっても全然かまわないのに。しかも店の客から財布を盗んだという事実無根の言いがかりで調べられるんだけど、防犯カメラに自分の無実っぷりが写ってるんだからそれを指摘して確認させるとか脱ぐ前にいくらでも抵抗できるのに。だってこの被害者は事件をきっかけにPTSDになって、その後、大学やめちゃったり、人とつきあえなかったりして深刻なダメージを受けてるわけ。それゆえの損害賠償請求。決して面白がって成り行きに任せてたとか、人前で服を脱ぐことを気にしなかったとか、じゃないのよ。犯人からの指示によって店員が客を脱がしたっていうケースもあるんだけど、客はなんでやられるままになってるんだろう。逃げるとか叫ぶとかもっと強く抵抗すればいいのに。
◉人は服従したがっているように見える
この手の、権威と服従をテーマにした映画や本を見ていると、「服従の心理」というより、「服従したい心理」っていうのが人の心の奥に、人間存在の根幹に関わる形であるように感じられる。先のアイヒマンテストが再現されるたびに変わらない結果を出すのも、そのことの証明じゃないだろうか。服従する準備が常にできているというか。それって何なんだろうって思うわけです。
操られるチェーン店の店長というのがまた、みそで。ふだんから本部の画一的なマニュアル指導のもとに従業員をコントロールするのが職務の基本なわけですよ。犯人はうまいターゲットを選んでるなと思った。だけど、考えてみれば、社会の中で適応してやっている普通の人は日常生活の中で服従も命令も同調もしょっちゅうやっている。たとえ理不尽な内容のことでも、上からの命令に従い、同列の人たちには同調し、下には命令する。これらのどこにも自分の自由意志というものが介在しない。それが日常であり、人生の大部分である場合、どうして非常時にだけ高潔な自由意志がパッと出てくるということが期待できるだろうか。まして自分の命が直接死の脅威にさらされる戦争状態ではなおさらのことだろう。
◉従うことに慣れている
社会でうまくやっていくのに、自分より上にある人の理不尽な命令に従ったことがないっていう人がいるだろうか?ある意味、そういうことに慣れてるね、誰もが。まず最初の人間関係の親との関係がそうだし。学校、部活の先輩、バイト先、職場とそれがずっと続いていく。特に職場においては必ずある。「仕事だから」「生活あるから」という魔法の言葉で思考停止して、それによってたいがいの理不尽な指示が正当化される。
かくいうぼく自身もつい最近そんな経験があった。参照それぞれのTポイント※4。いや〜、こういうこと考えたり見聞きしてるからどっかで自分は人よりマシとか思ってたけど、ぜんっぜんダメでした(笑)。笑い事じゃないんだけど。一人で植木屋やってたら絶対客の家で小便しないもんね。でも「みんなやってる、そういうもんなんだ」と言われたらコロッとしちゃった。全く恥ずかしい話です。
服従の習慣は、一度や二度の経験ではなくて、学校教育の段階から日々ならされ、強化されていくんじゃないか。犬のトレーナーが絶対に自分の前を歩かせないとか自分が止まったら必ず止まらせるとかを徹底的にやるんだけど、それと同じで習慣化されてるということだろうか。人も社会に適応する過程で支配関係に慣れ親しんでいるというのは一つあるね。
◉従うことだけでなく、同調にも命令にも慣れている
うちの兄が高校の部活の始めの時に一味唐辛子だかラー油だかを一気飲みさせられたことがあって、形は違えど新入生歓迎のイニシエーションでこういうひどい命令に従わせる伝統ってまだ残ってるのかな。酒の一気飲みとか。友達は某大手ブラック物流企業の新人研修で丘の上で大声で社訓を叫ばされたとか。で、これ自分が上級生なり、部下を持つ身になれば命令を出す立場に回るわけでしょ。それから集団行動によって同調にも慣れていく。某大手電気メーカーで働いていたかつての上司は部下を二人充てがわれて、そのうち一人出来の悪い方をクビにしろと言われて徹底的にいじめたって言ってたな。仕事を与えない、けちょんけちょんにダメ出しをする、つまらない仕事しか与えない、とか。それがやってる方も辛かったと。だけどやった。自分がやめたくはないから。
命令に背き、命令せず、同調せず、だったら組織の中でやっていくのは難しいだろう。つつがなく出世して、仕事と生活を安定させるには周りに同調し、理不尽な命令にも従い、理不尽な命令を出すことも躊躇せずで行った方がずっとスムースだ。人としてとか、自由意志とか言い出したらサラリーマンはやっていけないだろう。会社の目的=自分の意思みたいになっていないと。
◉同調や服従が自分の意思になる?
こうしてみてくると、普通の人の日常は十分、理不尽な命令やそれへの服従、盲目的な同調に満ちていることがわかる。意思か命令かというよりも、当たり前にしているふだんの振る舞いが、同調や服従が自分の意思と見分けがつかなくなるぐらいにまで自分を慣らしていく。冷酷非道な人間はもちろんのこと、自分の信念に従わずに生きる普通の人なら誰でも、非情な命令にすら従いやすいと言えるのではないだろうか。だってそれは普段のその人の心、日常だから。
◉周りに流されるということ
テレビ番組で健康にいいと取り上げられた食品がスーパーから姿を消すとか。週刊誌やワイドショーで世論が作られるとか。同じものが流行るとか、行列のできる店に行きたがるとか。よく日本人の美徳として語られるルールを守るってやつ、エスカレーターできっちり左右に別れて追い越し路線ができてる様子、行儀よく並んで次の次に来る電車を待つ様子、もしくは明らかに車が通らないことがわかっている交差点の横断歩道で信号が青になるまで決して渡らない人たち。ああいうのを見ると、同調が無思考に習慣化されているのを見せられる気がしてけっこう怖い。これはアイヒマンがユダヤ人虐殺に加担してから始まった姿勢じゃない。この世界で生きる普通の人の普遍的な心の構えなんじゃないかと思うわけです。
テレビ番組で健康にいいと取り上げられた食品がスーパーから姿を消すとか。週刊誌やワイドショーで世論が作られるとか。同じものが流行るとか、行列のできる店に行きたがるとか。よく日本人の美徳として語られるルールを守るってやつ、エスカレーターできっちり左右に別れて追い越し路線ができてる様子、行儀よく並んで次の次に来る電車を待つ様子、もしくは明らかに車が通らないことがわかっている交差点の横断歩道で信号が青になるまで決して渡らない人たち。ああいうのを見ると、同調が無思考に習慣化されているのを見せられる気がしてけっこう怖い。これはアイヒマンがユダヤ人虐殺に加担してから始まった姿勢じゃない。この世界で生きる普通の人の普遍的な心の構えなんじゃないかと思うわけです。
コンプライアンスというのは、企業の法令遵守ということでずっとメディアに頻出するキーワードであるけど、言葉の意味としては追従、承認という意味。企業に限らず人が社会の中で生きていく時にこの権威や世間への同調、追従というのは普遍的、恒久的なキーワードだと感じる。それは「忖度」が流行語になってしまうようなこの国の状況をみてもよくわかる。ひとりひとりがこの追従や同調からいかに自由になれるかが、それぞれの人生と世界の明暗を分けることになるのだろう。
〈関連情報〉
本「服従の心理」スタンレー・ミルグラム著
※3 映画「コンプライアンス〜服従の心理〜」
(内容:メンタリストは人に殺人をさせることはできるのか?)